マリオもスマブラもしたことないんだよね…。
「ゲーム」と聞くと単純思考で「面白くて楽しい!」「みんなで盛り上がれる!」っていう考えに至る。
Wiiのあの棒振って楽しそうにしている家族とか、マリオカートしてて体も動いちゃうカップルとか、ボタン連打して顔真っ赤にしてる少年たちとか、びっくりするくらい一瞬で CM脳内再生余裕。
確かにみんなで集まって遊ぶときに気軽に楽しめるけど、子供の頃にゲームをあまりしてきていないこちらとしたらとんでもなく心臓がドキドキしているのである。
特に懐かしいゲームを引っ張り出してきたときは、まず操作方法の学習から始まる。
こちとら、マリオもスマブラもしたことない!!!
4人でスマブラしたとして、3人にとっては懐かしい遊びだが、こっちは素人で、始まる頃にはやっと基本動作覚えた程度。もちろん玄人の3人からフルボッコである。
ゲームをする意味
ゲームをするときに考えることがある。「ゲームをしているこの時間になんの意味があるのか」「初期化してしまったら今までのプレイ時間が無駄になるんじゃないか」「ゲームでいくら一位になっても畑を耕しても現実社会にはなにも影響ないじゃないか」といった思いを抱えながらコントローラーを動かしている。
特に一人でプレイする時には、プレイする意味を感じないため、全くと言っていいほどしない。
しかし、数人でプレイする時にはこの思いは軽減される。
ゲームをすることは悪か
子供の頃は、「勉強しろ宿題しろ外で遊べ」といったことを頻繁に言われていて、ゲームをすることは悪だった(少なくともうちの家庭では)。でも今では「e-sports」なんて言われて、「ゲームで飯が食える時代」。
もちろん勉強も大事だけど、このご時世、友達と遊ぶときに必ずと行っていいほど出てくるゲームは少年時代にもやっておくべきなんじゃないか?
井上陽水の少年時代で「八月はスプラトゥーン〜 私の心はゲーム脳〜♪」なんて言われそうだけど。
今や娯楽の中心となって世界中の人とプレイできるようになった「ゲーム」は、人とのつながりを作り出す大事なツールなのかも。